照明を“あかり”と呼びたい日

土居輝彦(本誌編集長)

ヒースロー空港を飛び立った飛行機が、曇天のロンドンの厚い雲を突き抜けた瞬間、広大な青空が出現し、機内では大きな歓声と拍手が沸き起こります。東京に住んでいても、青空はさほど珍しいものではありませんが、われわれにとっては貴重なものだと、ロンドンの住人が教えてくれました。でも、その話をしているイギリス人の青い目を見たとき、ひとつの疑問が湧き出てきました。「果たして、青い目の彼らが見ている青空と、黒い目の自分が見ている青空は同じ色なのだろうか?」と。

サンフランシスコを夜間に発つ国内線は、その夜景の美しさを知るパイロットがしばしば、ゆっくりと舐めるような旋回を行い、機内では感嘆のため息が漏れます。でも黒い布の上で宝石箱をひっくり返したような光の粒々をよく見ると、サンフランシスコの住宅街は日本の夜景にはない、暖かなオレンジ色をしていました。それは蛍光灯ではなく、白熱灯のあかりでした。

あかりに対する認識は、目の色が大きく影響しているのだといいます。海外の住宅に間接照明が多いのは、黒い目をしたわれわれよりも照明の明るさに敏感だから、という説がありますが、なるほどなお話です。

さてさて、われわれ日本人の先祖たちは、電灯が発明されるまでずっと薄暗い灯りの中で暮らしていました。たとえば行灯(あんどん)の灯りですが、本当の明るさは時代劇の部屋の明かりなどとは比較にならないほど暗いものです。庶民の生活において、ロウソクはかなりの贅沢品でしたから、庶民や農民の暮らしの灯りは、菜種油を使った小さな照明がほとんどだったのです。月明かりと小さな灯りが頼りの生活を強いられていたのですから、日が暮れれば寝て、日が昇れば起きるという生活パターンが普通でした。季節によって変化する不定時法という時間の概念(日が昇れば明け六つの鐘、日が沈めば暮れ六つの鐘)が通念として存在していたのは、時計の存在よりも、あかりの有無が大きかったのではないでしょうか。

そんな不自由な生活から、電気を使った照明は一気にわれわれのライフスタイルを変えました。夜でも昼間のように明るい蛍光灯を、高度経済成長期の日本人が当たり前のように家庭内の照明にしたのは、当然の成り行きだったのかもしれません。行灯の灯りで暮らしていた時代から、100年も経っていなかったのですから。

いま、日本人の生活の中における照明は、新しいステージへと移行しています。それは「夜間に部屋を明るくすること」ではなく『一日を通してあかりをコントロールする』ということ。照明の質で食事が美味しそうに見えたり見えなかったりするのと同じように、インテリアもあかりの演出で価値観が大きく違ってきます。LED照明の登場によって、テクノロジーも大きな転換期を迎えました。果たして、10年後の日本の夜景は、素敵な色を見せてくれるのでしょうか?

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